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〜 高見沢 謙輔 ( たかみざわ けんすけ ) プロフィール 〜 |
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Profile ■出身地等 兵庫県 ■現住所 大阪府大阪市 ■学校 小学校;市立小学校 中学校;市立中学校 高校;市立高校 大学(院);県立大学・同大学院 ■クラブ活動・スポーツ・趣味 小学校;サッカー 中学校;サッカー部 高校;卓球部 大学;部活には所属せず、テニス、自転車(ロード)、英会話 社会人;テニス、サッカー、自転車(ロード)、英会話、ジョギング ■習い事 小学校;そろばん、習字(初段)、公文式数学教室、お絵かき 中学校;英語塾 高校;英語・数学塾 大学;テニススクール 社会人;ノバ、ECC、ベルリッツ、日仏文化協会、アリアンス・フランセーズ Institute Cathorique de Paris、Universite de Paris Sorbonne、 France Langue Nice、Institute de Francais、 Centre Languistique pour Etrangers Tours ■資格等 大学(院);英検2級 社会人;電検三種、TOEIC730、仏検5級、パリ・カトリック学院仏語中級修了、 パリ大学ソルボンヌ校夏季仏語上級修了、他 |
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History |
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■幼少〜小学校時代 <劣等感・引っ込み思案・恥ずかしがりや・孤独感・自我の目覚め> 私は幼少時代から運動神経は悪くはなく、走るのもけっこう速かったんです。小学校のリレー競技でも 第一走者を走る事もありました。しかし、恥ずかしがりやで人見知りをし、容姿は決してかっこよくはなく、目は小さくぺチャ鼻のどちらかというとブサイクでした。幼稚園では、女の子に関心を示されずひたすら目立たない幼少時代でした。ですので、カッコよくてハンサムで女の子に人気のあった友人がとても羨ましくてしょうがなかったのを覚えています。小学校に入っても、低学年ではあまり変わりませんでした。 そんなある日、校庭の遊具場の近くで鬼ごっこか何かの遊びをしている時、躓いてこけてしまった拍子に鉄柱に口からぶつかってしまい、前歯の片方が凹んでしまうという悲劇にあいました。つまり、前歯の2本に凹凸の段差が出来てしまったのです。その結果、なんとも言えない間抜けな顔になってしまいました。 当初は母親も歯医者さんも治療を進めたようですが(あまり記憶にありません)、当時の治療は入れ歯のような針金で歯を押さえつけて矯正するというもので、それをつけるのがとても恥ずかしかったのと、子供ながらにお金がかかるのではないかと思ってしまい治療をしませんでした。それ以来ずっと同じ理由で40歳代半ばまで治療をしませんでした。 そしてそれは、ずっとずっとず〜っと自分の顔に対する劣等感となってしまい、笑う時には大抵気になり、どうも対人関係に積極的になれませんでした。元々の恥ずかしがりやもあって、当時は特に女の子とはあまりしゃべれずにいました。現在は時間的な余裕ができたこともあり治療をすることができたのですが、今思うと自分ではずっとそれを心の奥底でひきずっていたのだと感じます。 一方で、冷静に見て他人はそれ程気にしていなかったのではないかとも感じます。結局自意識過剰だったのかもしれません。そんなこともあり、外から見るとおとなしくて何となく暗い感じがしていたかもしれません。遊び友達もいるのはいましたが、親友などというものでもありませんでした。 しかし、高学年になって担任の先生がサッカーの好きな先生に代わり、体育の授業はもちろんその他の授業も天気さえ良ければサッカーに変わることがありました。それで、大抵の生徒はサッカーに夢中になり、元々体を動かして遊ぶ事が好きだった私も同様に夢中になりました。そのため少しはサッカーが上手くなって少し自分にも自身のようなものが芽生え始めたように思います。 また一方で、孤独感のようなものも感じました。それは劣等感からくるもので、「なぜ僕はあの友達自身ではなく自分なんだ?」「僕はあの友達と同じ環境の家に生まれ、友達と同じくハンサムで運動神経の発達した子供でいたかった」という気持ちでした。妬みというか、羨ましさというか、自他の区別の認識の始まりというか、魂の不思議さというか、そういうものを感じていました。 体も小さかったですので、背の順に並ぶといつも前から一番目か二番目でした。これも劣等感を抱かせました。なんだか、こうして考えてみると当時は劣等感の固まりのようだったみたいですが、意外と自分の主張はしていたようで、友人の誕生日会にも、呼ばれていないのに行きたいから呼んでくれと言ったり、自分の誕生日会に違うクラスの好きな女の子に、来て欲しいとお願いしたり(実際には全て母親に言ってもらいました)していました。 ■中学〜大学時代 <欲求不満・頂点からの脱落・受験・未体験ゾーン・中途半端・諦め・不安> 小学校時代には上記のような二面性(自己主張と恥ずかしがりや)を持っていましたが、中学に入り少し変わってきました。小学校時代に好きだったのが講じてサッカー部に入ったのは良かったんですが、成長が遅く体が小さいままだったので同級生との体力の差が大きくなってきて、技術よりも体力の方がものをいうようになり、三年生の頃には上手い転校生入ってきたこともあって(その転校生も自分が入部を勧誘するという、チームのたえとはいえ自分で自分の首を絞めてしまいました)、レギュラーからはずれ補欠となってしまいました。 その時は悲しくてベッドで泣いたのを覚えています。そして次第に部活にも顔を出さなくなっていき、自然消滅というお決まりのパターンで、なんとも中途半端な幕切れでした。当時は修学旅行の委員に選ばれたりして、そちらに打ち込む事で憂さを晴らしていたような気 高校時代には、中学時代の苦い経験に嫌気が差しサッカーに見切りをつけて、女性部員もいて当時華やかに見えた(今から考えるとなんでかよく分かりません)卓球部に入りました。こちらも最初はそこそこ上手くなって良かったのですが、三年生近くになると上手い下級生が入部してきてしまい、またまたレギュラーの当落線上となってしまいました。 こちらも今から考えると、もっと堂々と自信を持ってやっていればよかったように思いますが、どうもひねくれてしまって、最後の大会もあえなく惨敗してしまい、何とも後悔の残る幕切れとなりました。 その頃からでしょうか、何事も始めはいいが最後には追い抜かれ、レギュラー(正員)から外れ、最後は良い結果を残せずに欲求不満となる。そんな自分の運命の流れ(DNA)を感じてしまうようになりました。また恋愛では、高校2年3学期の修学旅行の時に初めてできた彼女は学年トップクラスとも言われた美人でしたが、3ヵ月後には熱が冷めたかのように終焉を向かえフラれてしまうという悔しくも恥ずかしい思いをしました。 そんなこともあり、三年生になるとその反動のようにクラブも女の子も忘れようと、ひたすら受験勉強に打ち込みました。そして、それが結果的にはよかったようで、無事大学にも合格でき浪人を免れました。 大学時代はクラブに入ることも考えましたが、大学が自宅から少し遠い場所にあったために、クラブには入らずひたすら毎日朝早くから電車に揺られて通っていました。また、高校三年生の終わりから入ったある宗教団体(オームではない)に足しげく通っていました。 教祖はかなりの超能力者で病人がその人の近くに座っているだけで回復していきました。当時は政治家や経済界の大物の人達もその先生にお世話になっていたようでその世界でも有名だったようです。友人に紹介したりしていましたが、今では縁が無くなりました。 しかし、ここでの活動は良くも悪くも、非常にいい経験となりました。言葉使いや礼儀を教えてもらい、社会人との付き合いも増え、社会の縮図の中で色々な事を学びました。その会場に行くことで友人を含めた多くの人の病気が改善していく様を目の当たりにし、初めてそういう常識を超えた世界を体験しました。 教祖の教えにも独特の理論があり、実生活を通した経験での実証に驚かされました。経験のない未知の世界に純粋に惹かれていったことは確かです。社会人になって勤務地の関係で友人も少なくなり行かなくなりましたが、その時の経験は今でも活きているような気がします。そこで知り合った友人とも今でも付き合いがあります(教祖が亡くなりその友人も今はその会には行っていません)。 大学卒業の頃には国家公務員を目指しましたが、二次試験で不合格となり大学院に進みました。その後公務員受験にも挑戦しましたが失敗し、結局民間会社に就職することになりました。大学院時代には友人の勧めで一般の英会話サークルに入り活動をしていましたが、結局学生生活では、それなりに努力もしましたが大きく何かを成し遂げたわけでもなく、何か飛びぬけた能力を発揮したわけでもなく、中途半端な能力の自分をいやがおうにも認めざるをえない、そういう自分で満足するしかない、当然ながら自信も無い、今振り返ってももどかしい、そんな時代でした。 ■就職〜そして脱サラ <我慢・海外への憧れ・転属・裏切り・退職・留学・起業> 就職はしたものの、第一希望ではなかったためか、配属が希望とは少し違っていたためか、満足できる仕事では無かったけれどもが、石の上にも3年のつもりで取り合えず続けてみました。 半導体製造プロセスの技術者。何となくカッコいい響きがしないでもないですが、実際は実に泥臭い仕事でした。暑い防塵服を着て工場内を動き回る、体は溶剤の臭いで臭くなり、足はグレーチングで疲れます。上司がまた職人タイプの感じで性格的にはあまり私と合わず(長い会社生活で結局合うことはありませんでした)苦労しました。 仕事の中に少しでも楽しい事を見つけて、楽な仕事は無いと自分を説得し、サービス残業も厭わず(当時は可能でした)ひたすら努力をしました。大学院時代から友人に誘われ一般のESSに入会し、英会話の勉強を続けていたせいか、次第に海外で働きたくなりだして、海外に出向している社員を見ると羨ましくなってきていました。 外国人の友人作ったり、国際学会にも聴講に行きましたが、会社での仕事は主流の先端技術分野ではなかったこともあって、徐々に欲求不満が積もっていきました。今から思うと自分の実力の割りに野心的な高望みだったような気がします。そんな中、当時始まって間もなかった社内公募という制度の元で、海外での技術開発のためのプロジェクトチームに応募しました。 そして、たまたまプロセス技術者が足りないというようなことで採用されました。これが大きな転機となりました。この時の上司が、後に異例の出世で社長となりました。非常に優秀でT大学出身のエリート技術者でした。同時に人間味もあり、何故かあまり出来の良くなかった私をよく指導し可愛がってくれました。 仕事が変わって数年は非常に充実していました。しかし、管理職になり、次第に会社・仕事・部下・関係部所などからのプレッシャーに耐えきれなくなっていきました。所属や工場を転々としていく中で、そろそろ部長という所まできていましたが、ストレスと欲求不満はピークに達していました。私はそこでギブアップしました。 精神的にも能力的にも限界でした。このままでは、精神的におかしくなる。そんな予感がしていました。自己防衛反応だったように思います。人生一度きり、定年退職してからじゃ、やりたい事をするのには遅すぎる。そうとも感じていました。 社内公募の時もそうでしたが、今回もやはり、仕事で関係のあった人たちからすれば、私の行為は「裏切り」なんだろうと思います。しかし、自分ではどうしようもなかったんです。何かに憑かれた様に辞職に突き進みました。結局、辞めたいと言い出してから、所属を変えられ、精神的には比較的楽な仕事を変えられ、気が変わることを期待されながら半年経たったところで、再度の訴えでやっと受理されました。 当時既に取締役になっていた元上司からは何度か説得をして頂きましたが、「ライバル会社に行けば支度金で?千万円は出すだろう。そんな恵まれた仕事を投げ出すなんて」というような事も言われましたが、例え会社が変わっても今のような仕事をやりたくありませんでした。 当時は本当に苦しかったんです。当時から比べると今はお金は全くありませんが精神的には天国のようです。家族など周りには大いに迷惑をかけているかもしれませんが、逆に私が家族にできることも増え、両親にも金銭的なこと以外の多くの援助ができるようになりました。その後何人かの占い師にも観てもらいましたが、退職したことはやはり正解でした。 そして退職した後は、直に次の仕事を見つけることは全く考えず、”何としても海外で生活してみたい”という思いから、雇用保険ももらわず退職金をつぎ込んで、憧れだった海外生活をフランス・パリで始めることにしました。 ■留学〜起業 <留学・起業・これから> パリでの生活は素晴らしいものでした。と同時に勉強へのプレッシャーのかかるものでした。パリ以外にニース、トゥール、など全部で5校位の語学学校に通いました。外国人留学生とも友人になり、今でもたまに連絡がある程のつきあいとなりました。これはかけがえの無い私の財産となっています。 滞在中はフランス国内はじめ、ヨーロッパ中を旅行し、その素晴らしい景色や文化に触れることができました。そして、滞在最後にはパリ大学・ソルボンヌ校の夏期講習で上級クラスに入ることもでき、それなりの成果を残して帰国することができました。 帰国後、サラリーマンになることは全くと言っていい程頭には無く、「何で起業するか」しか考えていませんでした。そして、色々考えたたあげく、以前の使用経験から、ある研究所の商品の販売契約を結ぶことにしました。そして、ネット販売を中心に展開しました。 当初はかなりいい調子で販売しましたが、次第にネットでの販売競争に矛盾を感じるようになり、暫くして広告販売から撤退し、地道に地域などに密着した販売へと方向転換しました。 そして、そこそこの販売と多くのお客様にご愛顧頂き現在まで来ました。その間、資格試験にも挑戦し向上心を忘れませんでした。元々、あまり出来のよくなかった私も、自分なりに頭の良くなる方法を工夫しながらやってきたのが良かったのかもしれません。 現在も、まだまだ自分では成長中だと信じて頑張っています。これからは、色々と学んだことや発見したことなど、人や世の中に役立つ情報を発信し、恩返しをしていけたらと考えています。脳トレやアイトレーニングなど、その他色々なノウハウや情報を発信していきたいと思います。
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